2014年10月3日金曜日

【イエス行動論15】 施しをするときには マタイ6:1~4

施しをするときには マタイ6:1~4

施しをする理由が教えられています。

 要点聖句引用

1節、見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
2節、だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。
4節、あなたの施しを人目につかせないためである。隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる

 共に分析

 イエスが教えられた御言葉の本質を学びましょう。
 この御言葉の本質は何なのか。
 「第一に神の国とその義を求めなさい」です。
 主イエスが、施しをするとき、善行を行うとき、注意すべき点を教えた箇所です。世の光として生きていくわたしたちにとって、重要な教えです。
 1節、見てもらおうとして善行をすれば、天の父のもとでは報いをいただけない。2節、見てもらおうとして善行をする偽善者は、既に報いを受けている。4節、隠れた施しを見ておられる父が、あなたを報いてくださる。これが今日の御言葉の概要です。
 そもそもなぜ、善行をするのでしょうか。どんな動機を持って行うのでしょう。わたしたち神の子は、その答えを明確に知っています。善行をする理由・動機は第一に神の国と神の義を求めるからであります。神の子は、神の栄光を高めるために、神の性質に合った行動を取るのです。
 2節に表れる偽善者たちの動機は、神の子の動機とはかけ離れています。彼らの動機は「人にほめられ」ることです。イエスは彼らを偽善者と厳しく断じています。人にほめられるために、善行を行うのはだめなのでしょうか。イエスはなぜ、彼らを偽善者と呼ばれ、そうならないよう注意したのでしょうか。
 神よりも人を優先した、もしくは人間中心的な善行は、天の父の報いを受けることができないからです。3節、偽善者たちの善行は、人間からの賞賛や社会での名誉などで既に報われていて、最も価値のある、命である報いを受けられないのです。
 ではどのように善行を行うとよいでしょうか。イエスは明確に教えられています。4節、「あなたの施しを人目につかせない」「隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」ここで共通するキーワードは「人目につかせない」「隠れた」です。善行は慎んで、謙虚に行い、極力公にならないよう行うことです。でも、なぜいちいち隠さなければのでしょう。
 気をつけないと、人間は傲慢と不信仰に陥るからです。自分のエラさ・清さに心酔し、果てには、誰にも褒められることのない善行を軽視することになります。人目につかず、隠れた善行を無意味なものと見なすようになるのです。

 イエス行動論要約

 神は善行の動機を見られます。イエスは人から認められるために、褒められるために行う善行は偽善であると断じています。神からの報いを受けるために、慎んで善行を、施しを行いましょう。神はあなたの隠れた行いを見ておられます。そして、必ず報いてくださいます。

 今日の試み

 わたしは人に褒められることが大好きです。しかし、今は人間よりも神に褒められることがもっとありがたく、嬉しいです。人のためになにかをするーこれはとてもいいことです。わたしたちは隣人を愛しますから、人のために惜しまず与えます。ただ、上記の偽善者からは、神への愛も、隣人への愛もさほど感じられません。むしろ自分への愛が色濃く出ているのではないでしょうか。今日の御言葉の本質は「第一に神の国とその義を求めなさい」なのです。
 あなたはなぜ善行を行いますか?その動機の順番は主イエスの説かれる、神>隣人となっていますか?
 何度も自問してください。もし神>隣人でないなら、そうなるよう努力してください。神の子として、この世の光としての努めてください。

ブログ訪問、ありがとうございました。
神の栄光をほめたたえます。ハレルヤ!^0^

2014年10月2日木曜日

【イエス行動論14】 敵を愛しなさい マタイ5:43~48

敵を愛しなさい マタイ5:43~48

復讐と与えることの考え方が教えられている。

 要点聖句引用

43節、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
44節、しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
45節、あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しいものにも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
46節、自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも同じことをしているではないか。
48節、だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

 共に分析

 イエスが教えられた御言葉の本質を学びましょう。
 この御言葉の本質は何なのか。
 「神の国とその義を求めなさい」と「隣人を自分のように愛しなさい」です。
 この御言葉もまた、多くのつまずきをもたらす。戦後、平和になった日本ですが、「敵」という言葉をイメージできますか?意地悪な友達・同僚というよりも、あなたを本気で殺しにくる相手です。戦争を考えればイメージしやすいかもしれません。あなただけではない、あなたが大事にする両親、恋人、兄弟姉妹、親友を殺しにかかります。これが敵、です。ゆえに、「敵を愛しなさい」という御言葉に抵抗を覚えるのです。
 難しい、受け入れがたい御言葉は、その本質を理解し、僕として従うことが最善です。この御言葉、そして聖書全体の本質は、前述のとおり、神の国とその義を求めなさい」と「隣人を自分のように愛しなさい」です。
 一つ目の本質は、神の性質に似るということでもあります。45節、神は悪人善人分け隔てなく、自然の恵みをお与えになります。神に背き、クリスチャンを迫害するような者にも、恵みを降らせます。これは、神の愛、慈愛の性質です。このような愛が、本当の愛なのです。人間世界でこれと匹敵する愛は母性愛になるでしょう。いわゆる無償の愛です。また、神は全知全能(完全)という性質もお持ちです。神の子も完全です。48節、わたしたちは神の子ですから、わたしたちもまた完全となり得ます。これは決して傲慢ではなく、真実であり、栄光であり、喜びであるのです。
 二つ目の本質は、文字通り隣人を自分のように愛するのですが、当初考えていた隣人の領域を敵にまで広げます。43節を見ると、旧約時代では隣人と敵が区別されていたことがわかります。「隣人」とは隣にいる人なので、当然ながら敵をも含みます。46節、わたしたちの愛し方を咎められています。愛しにくいと思う相手を、愛するのが真実の愛ということです。どのように愛するかは、44節、自分を迫害する者(敵)のために祈ることです。呪うのではなく、祈るのです。神の子として、完全であり、地の塩、世の光であるべきなのです。

 イエス行動論要約

 罪人である己を赦して下さる神の愛を受け止め、謙虚になりなさい。隣人愛を大事にし、慈しみと愛を持って敵、悪人、加害者、請求者に接しなさい。彼らは神にたいする自分の姿なのです。神に与えられたものを、神の御心に適うように用いなさい。あなたは世の光です。

 今日の試み

 あなたの敵は誰ですか?
 私はこれまで、一度だけ人を心底恨んだことがあります。相手を悪魔だと思い、死んで欲しい、不幸よあいつに降りかかれと本気で思いました。中学時代、わたしをいじめた中心人物です。当時は心の平和が乱されたため、非常につらかったです。彼への憎悪といじめられる悲しみによって心がバランスを失っていました。しかし、少し時間が経ち、高校に進学すると、感謝する思い出となりました。今では彼を憎むのではなく、憐れんでいます。また、若いときに極悪人に出会えたので、人の罪に寛容になり、人を許すことが苦でなくなりました。「あいつに比べたら君は天使だよ」という感じです。ですがそれ以上に、感謝するのは神の御加護です。少しばかり外力により、心が乱されましたが、中心はぶれませんでした。「わたしは神の子だ。神と比べたらあんなやつ」と考え、度重なるいじめにめげず、堂々と向き合いました。一度、彼のために1分ほど祈りをしたところ、不思議と重い荷物が落ち、憎しみから哀しみ、哀しみから憐れみに変わっていきました。神に感謝します。
 あなたが最も憎む、憎んだ人は誰ですか?
 神の子として、どのように立ち振る舞いましたか?
 どんなときにも神の国と神の義を第一に求めるためのあなたの方法を、兄弟姉妹にも共有してください。

ブログ訪問、ありがとうございました。
神の栄光をほめたたえます。ハレルヤ!^0^

2014年10月1日水曜日

【イエス行動論13】 復讐してはならない マタイ5:38~42

復讐してはならない マタイ5:38~42

 復讐と与えることの考え方が教えられている。

 要点聖句引用

38節、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。
39節、しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬も向けなさい。
40節、あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。
41節、だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。
42節、求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。

 共に分析

 イエスが教えられた御言葉の本質を学びましょう。
 この御言葉の本質は何なのか。
 「神の国とその義を求めなさい」と「隣人を自分のように愛しなさい」です。
 「復讐してはならない」とのイエスの教えは、つまずきを起こしやすいと実感します。その御言葉の表面的な整合性を論ずるのは神御言葉を正しく理解し伝える上で必要です。しかし、これらは二義的なことです。御言葉の本質、神の御心を汲み取って、受け入れることが一義的なことです。
 38節は、目には目を、歯には歯を。いわゆるハンムラビ法典です。
 39節は、大逆転の発想です。加害者(悪人)に手向かってはならず、むしろ、右の頬を打たれたら左の頬を向けろという。「やられたらやりかえせ」ではなく「やられ続けろ」。自力救済を控え、暴虐を受容せよ、です。
 なぜ、反抗・抵抗しないのでしょう。はっきり言いますが、39節は、わたしたちが取り得る、最強の抵抗なのです。人間を罰することができるのは神のみであり、裁きは全て神に任せるべきであります。むごい仕打ちを謙虚に受ければ受けるほど、神の怒りは増し、悪人に適正な裁きが下されます。しかし、このような考え方はまだ復讐の範疇にあります。忍耐すれば神は悪人を滅ぼしてくれるだろうと期待しているからです。この御言葉の本質は、もっと考えを進めると、神を仲介とした復讐ではなく、加害者への赦しと愛なのです。
 はっきり言いますが、私たち自身、大罪を犯し、様々な相手に害を与えていることを自覚するべきでしょう。復讐しないのは、自分の罪を見つめ、悪人と変わらない者であると謙虚になり、慈しみと愛を持って相手に接するからであり、また、不正への裁きは神の玉座であると頑なに信じているからなのです。
 40節から42節の核心メッセージは、必要とされたら、期待以上与えなさい、です。下着を取ろうとする者には、上着も。一ミリオン行くように強いられたら、二ミリオン。ここでも逆転現象があります。わたしたちは、良くしてくれる人に対しては求めに応じたいと考えます。しかし、訴えや強制などの求めには応じたくありません。40節、「訴えて」41節、「強いる」とあるように、イエスの例えには、強制性が認められます。しかし、イエスはいかなる求めにも応じなさいと教えています。あなたは神に求めて与えられないものがなく、神との愛だけで十分なのに、なぜ人々に背を向けるのか、という教えであるのです。
 「神の国とその義を求めなさい」と「隣人を自分のように愛しなさい」という本質から考えて行くと、イエスが「復讐してはならない」で何を教えられたか、何が神の御心か、よくわかります。なぜなら、この本質が真実であり、神と聖霊が真理を求める者に知恵をくださるからです。

 イエス行動論要約

 罪人である己を赦して下さる神の愛を受け止め、謙虚になりなさい。隣人愛を大事にし、慈しみと愛を持って悪人、加害者、請求者に接しなさい。彼らは神にたいする自分の姿なのです。神に与えられたものを、神の御心に適うように用いなさい。

 今日の試み

 とはいえ、現実社会を生きているわたしたち現代人にとって、復讐をしない、訴えに応じることは至難の業です。悪人は憎く、害を受けた場合は悔しいからです。それ自体は悪から受ける健全な感情なのでいいのですが、ときにわたしたちの心をも悪に染めてしまいます。カッとなったとき、いやな人に助けを求められたとき、主イエスの教えに従うには、どうすればよいでしょうか。神の御心に適う人とされるには、信仰を持ち、信仰から来る行いが重要です。試練と苦難の中、神の御心を行うために、あなたなりの方法を考えてください。
 どんなときにも神の国と神の義を第一に求めるためのあなたの方法を、兄弟姉妹にも共有してください。

ブログ訪問、ありがとうございました。
神の栄光をほめたたえます。ハレルヤ!^0^