2014年10月25日土曜日

【イエス行動論37】 断食についての問答② マタイ9:14~17

断食についての問答② マタイ9:14~17

新しい革袋と古い革袋。
















 聖書要点引用

16節、だれも織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎをあてたりはしない。新しい布切れが服を引き裂き、破れはいっそうひどくなるからだ。
17節、新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする。

 共に分析

 イエスの例え方と教えの本質を学びましょう。

 布とぶどう酒の例えは、いささか理解しにくい例えかもしれません。率直に言って、現代人のわたしたちにはピンと来ないのです。イエスの例え方は、普遍性を持ち、どの時代の人にも分かりやすいという特徴がありますが、聞き手に合わせた調整(カスタマイズ)をしていることがここでわかります。ユダヤ人が理解しやすいよう、ピンと来るよう、例えたのです。2000年前のユダヤ人は、多くの人が布を用いて服をつくったり、ぶどう酒を飲んでいました。この通り、イエスは「第一に神の国と神の義を求めなさい」などの普遍的な教えとともに、聞き手に応じた例えをしました。

 布とぶどう酒の例えの本質は何でしょうか。布やぶどう酒に特別な意味があるでしょうか。いいえ、そうではなく、例えの背後にある意味、意図している意味を汲み取ることが本質的です。16節と17節は、新しいものを古いものに付けたり、入れたりするとだめになるとあります。そうすると、考えるべきは、新しいものとは何で、古いものとは何かです。

 『断食についての問答』の文脈からでも明らかなように、新しいものとは、イエスです。メシア(救世主)の救い、律法の完成、新しい約束(新約)です。古いものとは、14節に見られる、モーセの十戒、律法主義、古い約束(旧約)です。その意味するところは、旧約的な律法の枠組みではイエスを受け入れることはできないということです。頭でっかちの律法主義者はひからびた革袋のようであり、イエスの教えを頑なに聞こうとせず、新しいぶどう酒を入れることができませんでした。旧来の約束、価値観を改め、まったく新しい人になる(生まれ変わる)ことで、イエスの教えを受け入れなさい、これこそがこの例えの本質ではないでしょうか。

 イエス行動論要約

 イエスは、神の言葉を普遍的に伝えると同時に、聞き手の属性、習慣などに合わせた例えを用いられた。布とぶどう酒を用いた例えの本質は、救世主イエスを信じるためには、古くなった律法、考え方を刷新する必要があることです。

 今日の試み

 現代に生きるわたしたちは、どうでしょう。新しい革袋を持って新しいぶどう酒を入れることができているでしょうか。もし何か問題が生じているならば、それは革袋の方に問題があります。わたしたちは革袋を常に新しいものにする必要があります。そのためには、革袋が古くなる原因、誘惑を断定することです。わたしたちの革袋が古い理由、もしくは古くなる理由を考えてください。


兄弟姉妹のみなさん、一人一人を愛します。
ありのままのあなたを愛します。I love you.
神の栄光をほめたたえます。ハレルヤ!^0^
 (画像URL:http://mrg.bz/TM8ZWh)

1 件のコメント:

  1. 最新のパソコンを買ったとき、最新のプリンタも買う羽目になりました。ドライバが対応していないからです。(笑)

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