題目:姦淫してはならない マタイ5:27~30
心を清く保ちなさい、と教えられた場面です。聖句要点引用
27節、あなたがたも聞いている通り「姦淫するな」と命じられている。28節、しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。
29節、もし右目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部なくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。
30節、もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても…。
共に分析
イエスの教え方(キーワード)と御言葉の本質を学びましょう。
イエスの教えの順番は昨日(イエス行動論9)見たとおり、過去➡現在➡行い、となっている。教え説く上で、ひとつのパターンとなっていることがわかる。今回は、イエスが繰り返し使うキーワード「しかし、わたしは言っておく」に注目する。
教えの「過去」の部分は、みなが常識として共有しているため、理解ができる。しかし、過去から「現在」の移行で、常識が新たなものとされるため、理解に苦しむ人が出てくる。「姦淫するな」はそうだと理解できるが、「心の中で…犯した」は必ずしもそうではないと考える人がいるかもしれない。しかし、この新たな認識を、新しい約束を受け入れることが教えの目的である。
イエスの御言葉をつぶさに見ると、「しかし、わたしは言っておく」や「はっきり言っておくが」というキーワードを何度も見かける。このキーワードはいつも、過去と現在をつなぐ接続詞のような形で使われている。このキーワードに出会うと、「ああ、次は何か新しい認識、約束を教えるだろうな」と期待するようになる。
この合言葉が持つ効果は、看過できないものだ。聞き手が自然と次の内容を期待し、受け入れやすくなるばかりか、聞き手の細心の注意を集めることができる。それまで、漠然と説教が聞いていた人も、この合言葉を聞くと、細心の注意を向けるだろう。そして、イエスの使う合言葉は確信があり、自信が溢れているので、より効果的である。教えは反復的に行うものである以上、よい合言葉があれば、より聞き手に伝わりやすい伝道ができるのではないか。イエスが実際に使われた方法なのである。
この教えの本質は何なのか。 「隣人を自分のように愛せよ」と「心を清く保ちなさい」であろう。
姦淫とは、強制的に性的暴行などを与えることである。しかし、イエスの再定義する姦淫とは、28節、みだらな思いで他人の妻を見る、ことを指すのだ。心の中で女性を犯すということである。そして、慈愛と愛に満ちたイエスだが、恐ろしい言葉が続く。もし、目がつまずきもたらすなら、えぐりだせ。右の手がつまずかせるなら、切り取れと教えた。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましであるからだ。
正直に言って、今の私は罪に問われるだろう。セクシーな女性に出会えば、みだらな思いを持って意識する節がある。若気の至りで、寝てみたいと考えたりもする。しかし、目をえぐり、手を切るほどの覚悟はない。それならば、そういったみだらな思いを捨てた方がよほど賢明だ。 しかし罰による抑止(恐怖)が、わたしたちの主な動機ではない。女性に対していかがわしい思いを抱かない、抱かないよう努力する動機は、隣人を自分のように愛し、心を清く保つためである。愛する女性を前に、みだらな思いを持つのは、健全なことだろうか。断じて違う。女性の信仰・品性・言動・外見を素直に愛らしく考えるのが正しいのだ。
この教えの本質は何なのか。 「隣人を自分のように愛せよ」と「心を清く保ちなさい」であろう。
姦淫とは、強制的に性的暴行などを与えることである。しかし、イエスの再定義する姦淫とは、28節、みだらな思いで他人の妻を見る、ことを指すのだ。心の中で女性を犯すということである。そして、慈愛と愛に満ちたイエスだが、恐ろしい言葉が続く。もし、目がつまずきもたらすなら、えぐりだせ。右の手がつまずかせるなら、切り取れと教えた。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましであるからだ。
正直に言って、今の私は罪に問われるだろう。セクシーな女性に出会えば、みだらな思いを持って意識する節がある。若気の至りで、寝てみたいと考えたりもする。しかし、目をえぐり、手を切るほどの覚悟はない。それならば、そういったみだらな思いを捨てた方がよほど賢明だ。 しかし罰による抑止(恐怖)が、わたしたちの主な動機ではない。女性に対していかがわしい思いを抱かない、抱かないよう努力する動機は、隣人を自分のように愛し、心を清く保つためである。愛する女性を前に、みだらな思いを持つのは、健全なことだろうか。断じて違う。女性の信仰・品性・言動・外見を素直に愛らしく考えるのが正しいのだ。
イエス行動論要約
イエスは聞き手の注意を集める、合言葉を持って教えた。聞き手が御言葉を理解し、従うためである。イエスの御言葉に従うわたしたちは、隣人を自分のように愛し、心をいつも清く保つ必要がある。したがって、みだらな思いを持って女性を見るのは、大罪である。愛を持って女性に接することである。今日の試み
あなたは合言葉を使っていますか?わたしは「神はこう言われます。」か、「聖書にはこう書いてあります」をよく使います。合言葉は主イエスが何度も使われたものです。もし、なければ合言葉を一つ考えてみましょう。思いつかなかったら、わたしの合言葉を使ってください。
あなたは、異性に対してみだらな思いを抱いていますか?わたしたちは、神の祝福と聖霊の知恵によって、みだらか否か、善いことか悪いことか、分かります。非常に魅力的な異性が目の前に表れたら、心を清く保つために避けるのではなく、愛らしく思ってください。みだらな思いを持っているなら、相手の信仰・品性・言動・外見を素直にほめ、兄弟姉妹として、愛することをイメージし、少しずつそのみだらな思いを清いものにしましょう。
ブログ訪問、ありがとうございました。
神の栄光をほめたたえます。ハレルヤ!
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