2014年9月23日火曜日

【イエス行動論5】 おびただしい病人の癒し マタイ4:23~25

題目: おびただしい病人の癒し マタイ4:23~25

主イエスの伝道が本格化し、多くの病人をいやされた場面です。

 聖句要点引用

 23節、イエスはガリラヤ中を回り、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。
 24節、イエスの評判がシリア中に広まった。人々がイエスのところへあらゆる病人を連れて来たので、これらの人々をいやされた。
 25節、こうして、大勢の群集が来てイエスに従った。

 共に分析

 イエスにより、伝道の基本と奇跡を学びましょう。
イエスは大変活動的であり、熱心である。23節、ガリラヤ中を回った(徒歩)のである。そして、御国の福音を述べ伝えたのである。また、民衆のありとあらゆる病気や患いを癒された。24節、当然ながら、瞬く間に評判はシリア中に広がり、あらゆる病人がイエスにやってくるようになった。25節、一人また一人と増え、大勢の群集となってイエスに従った。
 イエスは伝道といやしを司った。御言葉で御国の福音を、手で患部をいやされた。有言実行である。目の前で行われる奇跡に、人々は驚愕し、イエスに従ったのである。イエスの癒しは、御言葉から始まる。悪霊を追い出すときも、目を見えるようにするときも。神の御言葉に忠実に、そして愛しと確信をもって奇跡を起こすのである。イエスの伝道やいやしは神の教えと愛、そして確信が基本なのである。強い愛がなければ、終わることのない病人の列、おびただしい数の病人に嫌気がさし、いやすのを途中で止めていたはずだ。
 「奇跡」だが、二つの似て非なる意味がある。第一に、「神など超自然のものとされるできごと。人間の力や自然法則を超えたできごととされること。」(wikipedia) 第二に、「統計学的に極めて低い確率でしか起こらない(望ましい)ことの実現。」(wikipedia) この二つは性質が異なるので、明確な区分が必要である。イエスによるいやしは、第一の「奇跡」にて説明されるべきであり、第二の「奇跡」にはまったく当てはまらない。なぜなら、いやしが、神の御心に適う動機と行為であるなら、至極「当たり前」に実現するからである。むしろ、神の御心に適ったいやしが行われないことが、第二の「奇跡」であろう。
 驚くべきことに、聖書には「奇跡」という単語は使われていない。それらは、「神の力」、「驚き」、「しるし」にて言い表されている。神の御業であるならば、肉のいやしは統計や確率が低いうんぬんではなく、人間の理解や力を超越した神の御業なのである。

 イエス行動論要約

 伝道の基本は、御言葉から始まり、愛と確信を持つこと。だから、神の教えを知りなさい。愛しい心を持ちなさい。確固たる信仰を持って確信しなさい。また、イエスによる奇跡は「神の御心」であり、統計や確率ではない。

 今日の試み

 第一と第二の「奇跡」は似て非なるものですが、一見似ていて、意味が重なっているようで、まったく重なっていません。第一の意味≠第二の意味です。 
 奇跡とは何か、考えましょう。
 神の御心とは何か、祈りで求めましょう。

ブログ訪問、ありがとうございました。
神の栄光をほめたたえます。ハレルヤ!

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