2014年9月26日金曜日

【イエス行動論8】 律法について マタイ5:17~20

題目: 律法について マタイ5:17~20

新約が旧約をどのように定義しているかがわかる部分です。

 聖句要点引用

 17節、わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。
 18節、すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。
 19節、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。
 20節、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。

 共に分析

 イエスによる旧約と新約の関係性の説教と勘違いの予防を学びましょう。新約時代に生きる私たちは、旧約とのつながり、整合性に関して、どのように信徒たちに伝えればよいのか。イエスの御言葉を参考にします。
 17節、イエスは律法を廃止するためではなく、完成するために来たと言った。さらに、18節、律法の文字から一点一画も消えることはないとした。つまり、旧約時代の律法を完全に尊重し、その効力が持続するとした。しかし、ここで決定的に重要なのは、旧約における律法は裏をかえせば「未完成」であることだ。旧約の律法は正しいが、それだけでは十分ではないとしているのだ。そこで、新たな約束を加えることで、完成するとしている。
 19節は耳に痛いことばである。私はイエスの示した二つのグランドルール(神を愛しなさい、隣人を愛しなさい)によって、旧約の律法を軽視してきた。グランドルールさえ守ればよいと考え、なんと手軽と思った。19節はそれがとんだ勘違いであることを思い知らされる。律法の中でも最も小さく、細かい掟を一つでも破る、そうしてもよいと人に伝えると、天の国で最も小さい者と呼ばれるのだ。
 19節はもう一つ考え物がある。確かに、最も小さい者と呼ばれるが、「天の国で」なのだ。つまり、信仰を持つと、天の国には入れると解釈できる。
 20節、天国に入るためには、律法学者やファリサイ派の義にまさる必要があるとイエスは言っている。律法学者やファリサイ派というと、律法を完全に熟知しその通り厳粛に実行する厳格で、敬虔なクリスチャンである。儀式、禁欲などを完徹するのである。ポイントは彼らも義とされていること、その義だけでは足りないことだ。
思うに、イエスは私たちが天の国に入いることを望んでおられ、その方法を教えてくださったのだ。

 イエス行動論要約

 旧約における律法を前提に、新約の律法を守ることで、天の国に入れるというのが素直な解釈である。私の持論は、ここで完全に打ち砕かれたのである。新約は旧約を書き換えない。完成するものである以上、旧約は義なる上で等しく重要なのである。律法の話が持ち上がったとき、イエスの御言葉を参考するとよい。紛れもない真実だからである。

 今日の試み

 時として、クリスチャンは、難しい質問を受けます。律法もその一つと言えます。旧約と新約の関係、優先順位、信仰との関わり、などなど。これらの問いを、わたしたち自身で考え、答えようとすると、聖霊に満たされていない限り、非常に難しいです。ゆえに難しい質問なのです。
 主イエスの御言葉に従うのが正しい道です。主イエスはこの問いにどう答えられているのか。
 さっそく、練習しましょう。
 「旧約の律法と新約の関係はどうなっているのですか?」
 「旧約の律法は義があったが、〇で、新約によって律法はする」
 答えの〇は下のコメントで参照してください。

ブログ訪問、ありがとうございました。
神の栄光をほめたたえます。ハレルヤ!

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