2014年10月8日水曜日

【イエス行動論20】 神と富 マタイ6:24

神と富 マタイ6:24

 神は、わたしたちがどのように富を管理するか、見ておられます。
















 要点聖句引用

24節「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

 共に分析

 イエスが教えられた御言葉の本質を学びましょう。
 この御言葉の本質は何なのか。
 「第一に神の国とその義を求めなさい」です。
 聖書は富について非常に多くの頁を割いています。それほど重要なのだと考えられます。義とされる上で、富と正しく向き合うことは、言うが易しで、わたしたち罪人にとって、実はとてつもなく難しいのです。主イエスは明確に、神と富両方に仕えることはできず、どちらか一方しか選ぶことはできないと説いています。与えられたものに感謝し、主に寄り添うことが、真の祝福であり、真の幸福であることは確かです。カネの亡者となり、人情も義理もすっかりなくなってしまった哀れな人の描写は現代人の脳裏に焼き付いています。大金のカネは人を幸せにしません。人はカネ以上に価値のあるものであり、カネ以上のものを欲するよう、造られたからです。たとえ資本主義社会に生きていようと、わたしたちの本望はおカネを生産・増産することではありません。
 おカネが自己目的化してはなりません。おカネのために生きてはなりません。わたしたちは、神に仕えるために、富を用い、管理するのです。ゆえに、本質は第一に神の国とその義を求めなさい」なのです。

 イエス行動論要約

 神は、わたしたがどのように富を管理しているか、見ておられます。富は人を暗ます。富に仕える者は神に仕えることはできない。富に仕える者で実に幸せだった者は一人もいない。結局、富が幸せをもたらすというのは人間的、近視眼的、浅はかな幻想なのだ。神に仕えましょう。

 今日の試み

 わたしたちはどのように富を管理しているでしょうか。富に仕えていますか?富に仕えても最終的には絶望と滅びが待っているのを百も承知で、それでも富に誘惑されるのはなぜでしょうか。わたしたちの体に内在する罪によるものです。だから、誘惑に勝ち、神に仕える者が、義とされるのです。富との葛藤は、悪との戦いなのです。
 兄弟姉妹のみなさんは、具体的にどのような戦法で富と闘っていますか?富に仕えず、執着しないよう、心がけていることがありましたら、ぜひ共有してください。

ブログ訪問、ありがとうございました。
神の栄光をほめたたえます。ハレルヤ!^0^

(画像URL: http://mrg.bz/JSI7bR)

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