狭い門 マタイ7:13~14
神は命に通じる門と道を用意されている。
聖書要点引用
13節、狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。
14節、しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。
共に分析
イエスの教えの本質と、希望を学びましょう。
今回の御言葉の本質は、「第一に神の国と神の義を求めなさい」です。
イエスの教えられる、「門」とは何でしょうか。門と考えると何をイメージしますか?わたしは高校生のころこの箇所を読み、二つのことをイメージしました。まずは、物質的な門。フランスにある凱旋門。日本の神社にある鳥居。学校の校門。そして、メタファー、比喩的な門。あらゆる業界・業種の登竜門、人生の勘所を決める関門、などです。大学生であるわたしは、中学校➡高校➡大学と、教育機関へ入学するための試験という門をくぐってきたと言えるでしょう。そして、1年後には、就職の門に挑むでしょう。
13節、イエスは狭い門に挑め、と教えます。広い門は滅びに通じ、多くの者がそこに入ると説かれました。さしずめ、競争率の高い所に行けということでしょうか。なるべく競争率が高く、狭き門に挑もうと高校生のころ思ったものです。
しかし、14節を改めて読んでみると、いかに自分の考えが間違っているかがはっきりします。イエスの教えられた「門」と、わたしが考えた「門」はまったく別物でした。14節、「命に通じる門」とあります。しかも、その門を見いだす者を少ないと説きます。競争率の高いと言われる大学に入っても、会社に就職しても、それは「命に通じる門」では決してなく、また多くの人が「あそこは競争率が高いな」と見いだしているため、イエスの教える「門」とはまったく違うものとなります。
聖書を読みますと、「命に通じる門」とは、神の御国、天国への門です。この世における様々な登竜門、関門ではなく、です。そして、天国に入ることが人間の成せる業でないことを、聖書は繰り返し教えています。その門・道の狭さを比喩するために多くの例が用いられています。
わたしたちクリスチャンは、まず第一に神の道を歩むべきなのです。まことの道はこの世では、ときに険しく、ときに狭いものですが、わたしたちは「命に通じる門」をくぐるのです。したがって、御言葉の本質は、「第一に神の国と神の義を求めなさい」なのです。
最後に、この聖句から、兄弟姉妹と希望を分かち合いたいです。14節、命に通じる門は狭く、その道も狭いと教えています。一見、あまりにも狭すぎて、罪人であるわたしたちは悲観するかもしれません。しかし、14節には続きがあります。「…見いだす者は少ない」です。「少ない」というのは、見いだす者はいるということです。命に通じる門を見いだし、その道を歩む者が、少なからずいる、という事実は、わたしたちの希望となり励みになります。
イエス行動論要約
イエスの説く「門」とは、大学入試や就活試験など、人生の関門ではなく、神の御国へ通じる命の門です。その門は狭く、見いだす者は少ないです。第一に神の国と神の義を求めることに努めることです。
今日の試み
「命に通じる門」。わたしたちは見いだしているでしょうか。その門を見いだし、くぐり、その道を歩んでいるでしょうか。
命に通じる門を見いだせず、したがってくぐりもせず、歩みもしない。これがほとんどの者です。14節は、裏を返して言えば、「見いだす者は少ない」から「見出せない者は多い」となります。何が、どんな者が命への道を阻んでいるのか考えてみましょう。一体全体何なのですか。なぜ、ノンクリスチャンは創造主を信じず、クリスチャンは口先だけで神をたたえるのでしょうか。その理由、阻害要因を考えてみましょう。自分自身に置き換えて考えると、イメージしやすいかもしれません。ぜひ、兄弟姉妹と共有してください。
ブログ訪問、ありがとうございました。
神の栄光をほめたたえます。ハレルヤ!^0^
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