2014年10月18日土曜日

【イエス行動論30】 多くの病人をいやす マタイ8:14~17

多くの病人をいやす マタイ8:14~17

イエスの「正しさ」


















 聖句要点引用

14節、イエスはペトロの家に行き、そのしゅうとめが熱を出して寝込んでいるのを御覧になった。
15節、イエスがその手に触れられると、熱は去り、しゅうとめは起き上がって、イエスをもてなした。
16節、夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた。
17節、それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。「彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った。」

 共に分析

 イエスの確信、正しさ、使命の本質を学びましょう。
 本質は「第一に神の国と神の義を求める」ことです。
 15節、「その手に触れられる」とあります。イエスはパウロのしゅうとめの手に触れました。この単純な動作の中にも、大変な信仰が認められるのではないでしょうか。わたしたちも病院や家にお見舞いすることがあります。お土産を手に、ねぎらいとなぐさめを目的に向かいます。しかし、その手に触れて、病気を治すことなど、考えたことも、行ったことなどないと思います。明日手術が行われるとする人に、その場で治ると信じて触れることはないと思います。まして、16節、言葉でいやしを行うことなど、滅多にありません。イエスの清い信仰が見られます。
 イエスの信仰は、行動はなぜ正しいのでしょうか。なぜ、義なのですか。17節、預言に基づいた信仰、行いであるからです。これまで、正しさや義とは、神の御心に適うことであることを共に分析してきました。預言とは、神の御心、神の御計画の表れです。神から「預かった」「言葉」であるから、預言なのです。そして、イエスは神の御心を「完璧」に適うよう行いをされました。裏を返せば、神以外の何かに頼ったことが一時もないと言えます。
 イエスの使命の本質は「十字架による救い」です。十字架で救いを完成させるまでは、教えやいやしなどで救われます。正直に言って、大方の人は、14節、汗ばんだ年寄りの手など触りたくなく、16節、悪霊に取りつかれた狂暴・危険な人と関わりたくないでしょう。しかし、イエスはその人々こそ救われる必要があると神中心的に考え、使命の任務を遂行しました。「正しい」こととは、世の常識と異なる場合が大いにあるのです。

 イエス行動論要約

 イエスの信仰と行いは完全です。完璧に、神の御心に適っているからです。神の御言葉の表れである預言を成就する使命を基に、完璧に任務を遂行されます。

 今日の試み

 要約を見て分かると思います。救いの道へ進むためには、神の御心に適う信仰と行いが必要ということです。イエスへの預言があったように、わたしたちへの預言があったかどうか学ぶ理由がここにあるのです。聖書を読み理由も神の御心に適うためです。
 先日、大学構内で、電車やバスを利用するときに使うSuica(ICカード)を失くしました。1000円ごとしかチャージしませんが、学生にとっては痛手です。次の日に、事務室の窓口に向かいました。届けられていたので、取り戻すことができました。
 わたしが喜んだのは、Suicaが戻ったことより、自分の信仰が強められたことです。わたしのSuicaは無記名の物で、誰かが拾ったとしても、届けないだろうと考えました。しかし、神に、届けられていると信じます、すべては神の御計画どおりにと祈りました。窓口に行く前からすでにSuicaは手元にあるかのように考えました。はたして、ありました。
 神ならばしてくださるだろうと信じ、すでに与えられたと考える、これが、昨日の記事でも書きました、信仰ではないでしょうか。もちろん、神の御計画によってです。Suicaがなかったとしたら、それが神の御計画であるとはっきり分かるのです。
 このように小さなことでもよいので、毎日神の御心に適う信仰を求めてみましょう。
 
兄弟姉妹のみなさん、一人一人を愛します。
ありのままのあなたを愛します。I love you.
神の栄光をほめたたえます。ハレルヤ!^0^
 (画像URL:http://mrg.bz/pjyV1H)

1 件のコメント:

  1. He restores my soul; He leads me in the paths of righteousness For His name’s sake (Psalm 23:3)

    返信削除

アカウントのない方は「匿名」でコメントできます。
あなたの言葉が、兄弟姉妹の慰めに、励みになります。